木原滋文の島人コラム Vol.10

 

杉山物語 (2)

「誰のために木を植えるのか」

私の山は、といっても先祖から譲り受けたものだが、今作業をしている所は、住まいから車で3分ほどの所で、道路を挟んで上下にあり約1.7ヘクタールの広さだ。
50アールは二十年ぐらい前に伐採し、父がクヌギを植えてもらったのだが、手入れが行き届かなかったのか、クヌギの姿はどこにもなく、荒れたままになって、アブラギリなどの雑木やシダなどの雑草が生い茂っている。
道下が杉山だ。
祖父が植えたものを父の代に伐採してその跡に植えた木で、初めに植えた木は六十年近く、若い木でも三十年以上経っている。
本数はどの位あるのだろうか。
数えたことはないが、千本ぐらいはあるだろう。

「木は孫のために植えるものだ」と言われる。
ものになるには五十年以上かかるということだ。
植林は一種の貯蓄であり、投資でもある。
うまくいけば、村上ファンド以上の高利回りになるというわけだ。
「木を伐ったら半分は造林に使え」という言葉がある。
しかし近年のような木材価格の低迷ではその気にもなれず、作業の苦労を考えると、今では死語になっているのかもしれない。

父は小学校を卒業後、終戦で大陸から引き揚げて来るまでの三十年余り、島での暮らしはしていない。
山の仕事などしたことはないはずだ。
父の叔父や、母の兄たちの指導はあったにせよ、よくここまでやったものだと、我が親ながら、感心したり、感謝している。

私は小学校時代から高校時代まで手伝った。
木は植えてから五年、少なくとも三年間は、苗が雑草から首を出すようになるまでが肝心で、毎年下払いをしなければならず、枯れた苗があれば補植も必要になる。
今みたいに草払い機があるわけではなく鎌で払う。
夏の暑い盛り、アシナガバチに刺されたことも数多い。
一年一年大きくなる木を見たり、作業後のきれいになった山を見る時の気分は、えに言われぬ爽快なものだ。
仕事の喜びは、これだけしたらなんぼというだけでなく、案外こんなところにあるのかもしれない。
まして、結果が出るのが数十年先の植林では。

私が今やっていることも、両親にとっては孫にあたる私の娘のためだったり、私達の孫のためなのかもしれない。
いや、誰かのためだけではなく、何かの役に立つだろうという先のことと、作業そのものを楽しんでいる自分のためなのだろう。

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