木原滋文の島人コラム Vol.11

 

杉山物語 (3)

「山の境界の難しさ」

宅地や田畑の隣接地との境界(島ではケイカイと言う)は、測量が比較的し易いのでわかり易いが、山林の場合なかなかそうはいかない。
大体このあたりという目安はあっても、厳密にはここからという判定は難しいし、また大切なのだ。
仮に杉が一列違うと、面積もさることながら、杉自体が数十本から数百本の違いが出てくる。
今は杉の価格が安いからそれほどの値はつかないにしろ、一本一万円とすると、数十万から数百万円の差が生じる。
殊にどちらも杉山だったりすると、迷ってしまう。
四〜五十年前、国土調査(地籍)が行なわれたとき、父と境界を確かめるため、山を歩き回ったことがあった。
そして、ビニールパイプを打ち込んでおいた。
そのパイプが、今回の下払い作業中に数箇所見つかった。
そのパイプは、森林組合が作業のために巻きつけた赤いビニールテープより外側にあった。

当時、いずれは自分が受け継がなければならないことは、頭の中でわかっていても、「めんどくさいなあ」と思いながら、父の後について歩いたことを今は懐かしく思い出す。

植えた時期が五年十年の違いは、三十年も経てばほとんどわからなくなる。
初めの手入れの頃は、ここが境界だというのがはっきりしている。
そのときは、杉の高さが違うし、周りの状況、たとえば、どういう雑木が生えているとか、地形などであるが、それらを頭の中に入れたつもりでも、何十年も現場に行かなければ、その雑木が切られたり、枯れたり、林道工事などで地形が変わったりして、わからなくなってしまう。
きちんとした杭を打っておけば一番いいのだろうが、かつてはそういうことは、あんまりやらなかったようだ。
やはりときどき山に行ったり、子どもに現場を教えておくことだろう。
かといって、子どもが遠く離れていると、それも容易なことではない。
私の両親もそうだったのだが、祖母や父の叔父に教えてもらったり、現場に連れて行ってもらったようだ。
あるとき両親が、祖父と同年代の人に境界を尋ねたら、「長之助(祖父の名)は、チンチク(余り繁殖しない竹の一種)を植えていたはずだが」と教えてくれたそうだ。
現場近くに一ヶ所その茂みがあったが、どういうわけかわが山の中ではなかった。
早死にした祖父の死後、どんなことがあったのか、知る由もない。
祖母も他人に譲ったおぼえはないと言っていたから、境界をめぐるいろんな歴史があったに違いない。

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