木原滋文の島人コラム Vol.13

 

杉山物語 (5)

「道具は手の延長」

今回の下払い作業は、手で始めた(もちろん鎌を使って)。
植林した当初からしばらくはそうしたように。
しかし、能率は上がらない。
これだけ広い山を払ったものだとわれながら感心する。
もっとも私一人でやったわけではないのだが。
高校時代、大学時代は両親と三人で、結婚してからは家内も加わった。
昭和40年代だ。
50年代になって草払い機を購入。
これまで手で払っていた倍以上の能率だ。
今回も途中から、機械を使ってからの作業のはかどり具合が違ったのは言うまでもない。
文明の利器とはこのことだろう。

しかし、機械化に問題がないわけではない。
かつて木材の山からの搬出には馬を使っていた。
だから山を傷めることは少なくてすんだ。
しかし現在はほとんど重機を使う。
その重機を山に入れるためには、道を作らなければならない。
その様子をテレビで見たのだが、山の中を縦横にである。
そのため山の傷みは大きい。
山崩れや洪水の原因になる危険性もはらんでいる。
山林は治水効果の一翼を担っているのだが、逆効果を招くことにもなりかねない。
今後の課題だろう。

さて道具は、便利さ、効率を追求しながらどんどん進歩した。
鳥のように空を飛べたらという夢をもたらした。
戦争はその進歩を加速させた。
同様に宇宙に飛び出したいという夢はそれを可能にした。
情報衛星という名の偵察衛星を飛ばし、宇宙基地という名の軍事基地を宇宙にまで作ろうとしている。
スターウォーズは、他の惑星との戦争だが、地球上の戦争を宇宙にまで広げようとするのだろうか。
人類は、これから先も現在の私達が想像もできないものを作り出すだろう。
一方、人間そのものはどれほど進歩したのだろう。
いやむしろ、退化しているのではないだろうか。

道具も、手の届く範囲、つまり人間がコントロールできる範囲ならまだいい。
自動車はいつ、走る凶器と化すかわからない。
それでもまだ、人間の手の内にある道具といってもいいだろう。
原発は当事者たちは安全性を強調するが、扱うのは人間である。
機械は正直であり、融通は利かない。
だから問題が起きるのだ。
もはや人間の手に負えなくなった道具のひとつといっても過言ではないだろう。
草払い機やチェーンソーでも事故が起きることもあるし、鎌や鋸で怪我をすることはあるが、まだ手の届く範囲の道具だ。

道具は人間が使うものであって、使われるものではないはず。
私たちはそのことを肝に銘じておかねばなるまい。

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