木原滋文の島人コラム Vol.18

 

母校への思い・・・自分史風に (4)
 「中学校 2」

小学校と変わったことの三つ目は、クラブ活動である。(最近は部活動、略して部活と言っているが)花形はなんと言っても男子は野球部、女子はバレー部であった。
当時、ほかにどんな部があったか憶えていない。
二年か三年になってテニス部(軟式)の写真があるので、後でできたのかもしれない。
もちろんサッカーなんて球技があることも知らなかった。

当然のごとく、私も野球部に入った。
それまでの野球は、ゴムまりを竹の棒で打つ程度のものだったから、軟式ボールでも硬く感じた。
新入部員が多すぎて、グローブが全員に行きわたらなかった。
個人で買ってもらうなど考えられない時代である。
素手でキャッチボールの練習だ。
ボールは正面でそれも素手で取ること、相手の正面に投げ返し、決して横から投げてはいけないことなど基本を教えられた。
素手だから片手で取れるはずがない。
それでもたまには片手取りになってしまい、そのたびに叱られた。
練習は放課後のみで土曜、日曜日にはなかった。
休日はほとんどの人が農作業の手伝いだったからである。
自分も素質がないことがわかったので、一学期もたたないうちにやめてしまった。

野球といえば、プロ野球の人気も相撲と並んで高かった。
テレビなどない時代だから、情報源はもっぱら、ラジオと雑誌である。
川上が活躍していた巨人が多かった。
私はなぜか、阪神の藤村がひいきだった。
野性味のようなものに魅かれていたのかもしれない。
そんな中で、南海ファンがいて、春のある日、今は故人になったその彼が、「今二軍に野村というキャッチャーがいて、今年は一軍に上がるそうだ」と言ったのを今でも忘れられない。

相撲でもそんなことがあった。
ある友人が「今十両に富樫というのがいて、将来性があるそうだ」と話した。
後、柏鵬時代の一角の柏戸である。
野球の王、相撲の大鵬が私と同年同月の生まれだから、彼らはその頃中学生だったのである。
甲子園やプロ野球で活躍した板東も同年齢で、ひいきのチームではなくても、彼らの活躍は、自分のことのようにうれしかった。
ファン心理とは不思議なものであり、面白い。
私は今でも、勝っても負けても、阪神ファンなのも、その一つかもしれない。

 

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