木原滋文の島人コラム Vol.23

 

母校への思い・・・自分史風に (9)
 「高校 4」
 〜全日制移管〜

種子島高校分校から、上屋久村立上屋久高校を経て県立屋久島高校へ、関係者は次に全日制移管を目指したらしい。
その念願がかなったのは、昭和32年である。
私達は一年も終わろうとしていた。
そのことを聞かされた時、みんな喜んだ。
三年で卒業できると。
ところが、私達までは定時制のままで、新一年生から全日制になるとの説明を受けた時、私達の間には、衝撃と不満の声が出始めた。
今考えると、当然のことなのだが、十六歳の少年たちには、なかなか納得がいかなかった。
特に就職希望者は、その不満が大きかった。
当時、一学年40〜50人のうち、進学希望者は10人そこそこで、後はほとんどが島外に就職していた。
三年で単位を修得すると、実習の形で就職するのである。
しかし、定時制卒業というレッテルはついてまわるのである。
それを先輩達に聞いていたから、なんとか全日制卒業をという気持ちが強かったのだろう。
進学希望者の中にも、一年でも早くという同級生もいたようだった。

担任の説得では納まらず、校長に直談判と言えば大げさだが、20人程が校長室に押しかけた。
休み時間、昼食時間、放課後と暇を見ては、出かけたようである。
馬場校長も偉かったと思う。
時間の許す限り相手になっていた。
一週間程続いただろうか、最後は5〜6人になっていたようだが、その騒動はおさまった。
私は進学希望だったが、どうせ今の力では、受かりっこないと思っていたので、初めから加わらなかったが、傍らで見ていて、彼らの熱意だけは感じていた。

一緒に入学して、全日制で卒業したのは、病欠で休学した人と、全日制から転入した4〜5人ほどである。
進学希望では、大検に合格した三人が三年で退学して受験した。

全日制移管にまつわる現場の裏話である。

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