木原滋文の島人コラム Vol.24

 

母校への思い・・・自分史風に (10)
 「高校 5」
 〜全日制移管2〜

変則的ではあっても定時制は、やはり定時制なのである。
そのため就職した卒業生の中には、その不利益を克服するため、働きながら働きながら大学に進んだ人、資金を蓄えてから進学した人もいる。
私のように半ば親のすねをかじった者には、ただただ頭の下がる思いである。

定時制=夜間高校のイメージが強かった時代だったが、定時制であったが故のプラス面もあった。
まず授業料が安かった。
十周年記念誌によると、月額が定時制270円、全日制650円、卒業するまで、約11,000円定時制の方が安くなる。
これだとアルバイトでなんとかなる。

次に四月から五月にかけて農漁繁休暇というのが、一週間程あった。
その分、夏休みが短かかったのかも知れないが。
屋久島の田植えは、早期なのでこの時期になる。
それにカライモの植え付け時期でもある。
しかし、なんといっても、この時期だけは、学校を気にしないで飛魚獲りに行けたことだ。
飛魚獲りについては、前にも書いたので詳細は省く。
もっとも授業中に居眠りができない分、体にはこたえた。
当時、高校生は立派な労働力であった。
これは、戦時中の中学生の勤労動員も同様であったのだが。

ところが、全日制になって、この休みがなくなり、平日の飛魚獲りは原則として禁止になった。
休みの日に確実に漁があるという保証はない。
それで平日にも出かける友人もいた。
学校は大目に見ていたようだが。
それに船の方でも、かこ(漁のメンバー)が足りなくて困る船もあったのだ。
全日制の一年生も同様であった。
それにしても、定時制の生徒がまだ三学年(実質的にはニ学年)もいるのに、なんで農漁繁休暇をなくしたり、飛魚獲りを禁止したのか。
定時制の生徒だけは、従来通りにするか、完全に全日制になってからこの措置を講じてもよかったのではないか。
一国ニ制度ならぬ、一校ニ制度は面倒だったのか。
体制はニ制度だというのに。
なにか矛盾を感じるのだが。

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