木原滋文の島人コラム Vol.25

 

母校への思い・・・自分史風に (11)
 「高校 6」
 〜生徒会活動〜

高校入学早々、生徒会役員になった。
中学校でも役員ではあったが、名ばかりの生徒会で、具体的な活動の記憶はない。
当時、高校では、一年生を一人入れようということだったらしい。
結局三年間続けることになったのだが。
今となっては、いい経験をさせてもらったと思っている。

入学早々、役員になったと思っていたが、最近目にした十周年記念誌によると(この記念誌については稿を改めたい)、十月だったらしい。
生徒会長が三年の田中孝男さん、副会長が二年の矢野健二さんと私という顔ぶれだった。
他に書記、会計(いずれも二年生)の二人を加えての五人が執行部だった。
組織は、学級委員二名ずつと各部(部活動)の部長・副部長で構成される代議員会が総会に次ぐ決議機関で、年数回の定例会と臨時会が開かれていたと記憶する。

当時の部活動は、野球、バレー(男女)、テニス(男女)、卓球(男女)、バスケット、柔道の体育系と、新聞、文芸の文化系の各部。生徒数のわりに部の数は多かった。
これらの部の活動を、月額60円、年間総額約14万円の生徒会費で賄うのである。
各部から出る要求額は、その数倍にもなる。
その調整が難しくもあり、また結構おもしろかった。

予算が決まると、品物の注文も一切生徒会がまとめて行なう。
当時は、西之表にあった熊毛教育用品という会社が注文先であった。
後で知ったのだが、そこの社長の浦門さんという方が、文字通り熊毛の学校の教材全般を扱っていたらしい。(この方は、私が新聞社に関係をしていた頃、励ましの手紙を数回いただいた)。
注文から支払いまで(現金は学校で扱っていたようだが)すべて生徒会がやっていたように思う。
請求書、領収書もすべて生徒会宛で、会計が帳簿に記載していたのを憶えている。
顧問の先生は、大きな所でつかんでいたのだろうが、いい意味で、仏様の掌の上で育てられていたのだろう。
生徒会の自主性を尊重し、民主主義教育の実践がそこにはあったのではないか。
先生方には感謝している。

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