木原滋文の島人コラム Vol.32

 

日日是好日 (5) 「除草剤と枯葉剤」

最近また、除草剤を使ったと思われる枯れ草が目立つようになった。
草刈機を使うより楽であり、短い芽が出てくるのが遅いのは確かである。
しかしどうも気になる。
後が見苦しいという見た目だけでなく、蟋蟀(こおろぎ)などの秋の虫も殺してしまうのではないかと。(*最近は、マツムシやスズムシの声をあまり聞かなくなった)
そして何よりも人間の体への影響は皆無なのだろうか。

かつて、教え子の母親が、田んぼに除草剤を散布していて気分が悪くなり、それがもとで亡くなった話を思い出す。
また、ベトナム戦争でアメリカ軍が、森の中に隠れている敵を(当時ベトコンと呼んでいたが)見つけやすいようにと空中散布した枯葉剤が、ベトちゃん、ドクちゃんに代表されるような悲劇を招いたことは、今さら言うまでもないだろう。
農薬の濃度や性質も違うだろうが、あれだけの生命力がある雑草を枯らしてしまうものが、たとえ微量であっても人体に影響がないはずはない。

しかし、私が言いたいのは、農薬の恐ろしさや危険性のことではない。
「言葉の人間への働きかけ」のことである。
「除草剤」と言えば、どこか人間には大した害もなく、プラスのイメージを与えるが、「枯葉剤」というと毒々しく聞こえるのは、ベトナム戦争の悲惨さを思い出す私だけなのだろうか。

言葉には、それを使う人、聞く人の、体験や歴史を背負っているような気がしてならない。

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