木原滋文の島人コラム Vol.33

 

日日是好日 (6) 「ちょっと一服」

タバコ税増税の議論がかなり熱を帯びてきた。
愛煙家(この言葉も気になるところだが)には耳の痛い話である。
肺ガンをはじめ、いろんな病気の誘因になることは、よくわかっているつもりである。
がしかし、未だに止められない。
多くの愛煙家がそうだろうと思う。

嫌煙家はこう言う。
「タバコは百害あって一利なし」と。
確かに百害はあるかもしれないが、一利はないとは言えない。
タバコを止められない者の、いわば”引かれ者の小唄”と言われるだろう。

表題の「ちょっと一服」は、お茶の場合にも使われる。
「茶の一杯」という言葉はよく聞く。
「ちょっと休憩しなさい」「まあ落ち着いて」という意味だ。
「一息入れる」とも言う。
そして小道具として、お茶やタバコが使われる。
 樵(きこり)だった母方の伯父に「工面タバコ」という言葉を聞いたことがある。
小学生か中学生の頃だったので、その意味はよくわからなかったが、自分がタバコを吸うようになって納得できた。
例えば、今こうして文章を書いていて、ふと行き詰まったとき、タバコに火を点ける。
一息か二息吸って火を消す。
続きが思い浮かんだからである。
伯父も屋久杉の大木を倒すとき、キセルにタバコを詰めながら、また吸いながら、木の枝ぶりや地形を観察し、切り倒す方向や後の処理のことなどを考えていたに違いない。

キセルの場合、くわえタバコはできない。
キセルの重さもさることながら、吸っていないと火が消えるからである。
刻みタバコを雁首に詰め、それを吸い終わると吸殻を手のひらに置き、次のタバコに火を点ける。
器用なことをするものだと感心したものだった。
私などとても真似はできない。
三度程詰め替えると、それでキセルをしまう。
巻きタバコの半分か3分の2で済むだろう。
量は少ないしニコチンやタールは、ラオという長い筒にたまるから、体への害はかなり軽減されていたに違いない。
武士が持っていた印籠よりもやや大きめの、木目のきれいなトンコツ(刻みタバコを入れる筒状の器)と太いらせん状のかずらで作ったキセル入れを腰に挿していた伯父の姿を今、懐かしく思い出す。
その伯父も、晩年はきっぱり止めていた。
その甥は、未だにおめおめと吸い続けているのである。

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