岩手(盛岡)にやってきた!(3)
〜会うは別れのはじめなり〜
盛岡に来て3年目に入った。
忘れもしない2年前の今頃。
右も左も分からぬまま、
親類も誰もいないまま始まった、新たな生活。
夫が仕事に行けば、
3歳と5ヶ月の赤ちゃんと不安な気持ちを抱えて、
家の中で引越しの片付けに追われていた毎日。
ただただ、これからどうしていいのか、
とにかく不安だらけだった。
そんな私を支えてくれたのが(もちろん夫ではあるが)、
同じマンションに住む松原涼子さんだった。
2人の男の子のお母さんである彼女は、
くったくのない笑顔で、盛岡の様々な情報を教えてくれた。
私よりも3歳くらい若かったが、料理も上手で、
「おばあちゃんの知恵」をたくさん教えてくれた。
「定例会」と称し、
互いの家で、家族ぐるみの食事会がはじまり、
温泉にもよく行ったりした。
建設会社で働く9歳年上の旦那様を、
夫は「兄貴さん」と呼び、慕っていた。
その松原一家の転勤が決まった。
岡山だった。
私の盛岡での生活を支えてくれたといっても
過言ではない松原一家。
岩手にきて、不安で一杯だった私に、
神様はきっとすばらしい出会いをプレゼントしてくれたんだと、
目に見えない何かに感謝する気持ちで一杯になった。
お別れの手紙を娘とそれぞれ書くことにした。
寂しさで一杯の私は何を書いていいのやら迷っている傍で、
娘はすらすらと書き終えた。
「しゅんくん、おかやまにいくの、かなしいね。
でもいっしょだからかなしくないよ。
またあたらしいともだちみつけてね。
おともだちたくさんつくってね」
私よりも立派だ、と思った。
そうだね、心の中には松原一家がいるもんね。
きっとまた会えるから悲しくないよね。
兄貴さん、涼子さん、舜くん、こうちゃん、
また会おうね!身体に気をつけて、元気でいてください。
■松原一家と我が家の子供たち
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