新婚生活 in 屋久島 (5) 〜旅立ち編〜
学生の夫は、私の扶養にはいっていた。
当時、役場の担当者からは
「男が扶養されるなんてね〜」と、
あきれ顔で首をかしげられたこともある。
田舎だから、そういう発言は仕方ないのだろうが、
私たちは「働ける方が働く」という
合意の基での結婚だったため、
どちらが扶養されようと、大した問題ではなかった。
しかし、周囲からみると奇抜だったのかもしれない。
様々な場面で、
「旦那は何をしちょい人か?」
と聞かれるたびに
「学生」と答える私。
目をぱちくりさせ、
怪訝そうな顔をされるという反応がほとんどだった。
そんな私達を応援してくれたのは、やはり両親だった。
母はたびたび、お菓子や食料を差し入れしてくれた。
母の笑顔に、夫も何度も救われたことがあるという。
父は夫を気遣い、調査や研究の話には自ら触れることはせず、
昔話や政治の話でよく夫と盛り上がっていた。
そして、1月に妊娠。
2月に夫の仕事が決まった。
東京だった。
夫が両親にその話を伝えると、
「なひけ(何故)東京やと?屋久島はだめやと?」
と、母が悲しそうに言う横で、
父が「(母にむかって)馬鹿なことをいうて。
おめでとう。よかったね」と言った。
私はというと、再び遠距離結婚を考え、悩んだ挙句、
やはり、退職を決意した。
退職届を出す朝、母にその旨を伝えると、
「なひけ(なぜ)辞むいと?屋久島には残らんと?」と、
不安げに、寂しそうにつぶやく母の姿が
今でも目に焼きついている。
母の寂しそうな顔を見て、私も胸が痛んだ。
夫も東京に就職が決まったことを母に伝えた時、
母の淋しげな表情を見て、
涙をこらえるのが精一杯だったと後から話してくれた。
今は東京へ行くけれども、
いつかこの島へ戻ってくる・・・・・・・・。
その思いを胸に、私達は東京へと旅立った。
(Photo by 船津 毅)
●このページのトップへ↑
|