屋久島タイムスの創刊に寄せて.7

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「屋久島タイムスに期待すること」

●上屋久町:宮之浦 長井 三郎さんからのメッセージ

「当たり前」って何だろう? 

お日様が東から昇って、西へ沈む。
春になると、木々の新芽がいっせいに芽吹く。
夏は暑く、冬は寒い。
雨が、空から降ってくる。
秋になると雄鹿が切ない声で雌鹿を求めて鳴く・・・・。
自然界の現象や、植物や動物たちの行動は、
本来在るべき当たり前の在り方に則って動いている。

ところが、人間は、そんな本来の在り方から
ずいぶんかけ離れた所まで来てしまったので、
もはや何が当たり前なのか、
よく分からなくなってしまっている。
なんとも、人間ってやつは、
自分で自分が分からなくなってしまった
哀しい存在なのだ・・・・・。

 

今僕は、宮之浦という街に住んでいる。
ここは「屋久電城下町」だ。
だから、今日も空から真っ黒な「煤塵」が降ってくる。
屋根に降り積もった煤塵は、やがて雨樋に溜まり、
時々取り除いてやらなければスムーズに流れなくなってしまう。
だが不用意に素手で取り除くと、手が真っ黒になってしまう。
物干し棹も真っ黒、
だから白いシーツなんかすぐに汚れてしまうし、
さらに困ったことには、
煤塵はいともたやすく家の中にまで入りこんで来てしまうから、
まるで日本カモシカのような足の「裏」も、
あっという間に真っ黒になってしまうのである。

でも、城下町の人々は、何も云わない。
「煤塵が降る」のはもう何十年も続いていることだから、
それはもう「当たり前」のことであって、
仕方の無いことだ、と思っているから・・・・・・。

宮之浦の街中を歩いている旅人が、
「何か硫黄のような臭いがしますね」、と云うことがある。
「温泉があるのですか?」とまぬけな質問をする者もいる。
何を勘違いしてるんだろうね。
相手は「煤塵」だもの、臭うのが当たり前だよ、ね。

天気のいい時、
煤塵がキラキラと輝きながら空中を舞っていることがある。
城下町の人はそれを「ダイヤモンドダスト」と呼んでいる。
そう思えば、どことなく綺麗なような気もするんだよね。
我慢できるんだよね。
だって相手は「大企業」なんだし、
文句云ったって、始まらないんだよね。
結局、「長いものには巻かれる」しかないんだよね・・・・。
(以上、皮肉たっぷりに読んでください。)

 

今ぼくの住んでいる宮之浦集落から、
わずか車で三十分も走ると、
「白谷雲水峡」という森にたどり着く。
昔は楠川集落から、ふうふう云いながら三本杉の急坂を越え、
何時間もかけて大汗をかきながら登ったものであるが、
今はなんと「定期バス」まで運行している。

それって、いいことなのだろうか、と思うのである。
いとも容易に「目的地」に到着してしまう「利便さ」は、
ぼくらを何処へ連れて行くのだろうか・・・・・。

加えてぼくが、我慢がならないのは、
その「白谷の森」が、
いつのまにか「もののけの森」と
呼ばれるようになってしまったことである。
町が発行しているパンフレットにまで、
そう記載されているのだから、
呆れたものである。

ぼくは、「民宿」を営んでいるので、
お客さんから
「もののけの森」へはどうやって行けばいいですか?
と聞かれることがある。
そんな時ぼくは、「もののけの森」なんて聞いたこと無いな。
そんな森なんか無いよ、と応対している。
すると、 「えっ?もののけの森を知らないんですか」
と怪訝な顔をされる。
そんな顔をされたって、無いものは無いのだ。

宮崎駿という人を、ぼくは素晴らしい人間だと尊敬している。
だが断じて、白谷の森は「もののけの森」などという、
そんな薄っぺらな森では無いのだ。
それは彼のネーミングであって、
屋久島に住むぼくらのネーミングでは無い。
白谷の森は、
そんな「もののけの森」などというチャチな森では無いし、
もっともっと奥深い存在なのだから・・・・。

 

そんなふうに、「当たり前」のことが、
もはや「当たり前」では無くなってしまったり、
はたまた、「当たり前」のことではないことが
「当たり前」のことになっていってしまっている、
この島の現実。
そんな現実の中で、この島の「当たり前」を、模索したい!
と願って創刊された「屋久島タイムス」。

何が出来るのか。どこまでやれるのか。
大いに期待するところである。

 

だが、先に述べたように、
人間はもはやそれ自体で「当たり前」では無い。
そんな「当たり前」では無い人間に、
何が「当たり前」のことなのかを、
追求することができるのだろうか。

 

答えは「風の中に舞っている」。
(古いなぁ。ボブ・ディランの世界だなぁ)
結局、求め続けてゆくしかないんだよね。
やりつづけることによってしか、道は開けないんだよね。
したたかに、そしてしなやかに。

 

ぼくは、かつてイキがっていた。
自分は一人で生きているんだと。
だが、つらつら考えてみると、
「人間」ってやつは、
「生かされている」存在に過ぎないんだよね。
そのことを先ず認識すること、
すべてはそこから始まるのだと思う。

それから、この島は「離れ小島」なのだから、
つまり逃げ場の無い世界なのだから、
この島の「自然」と、
いかにうまく、長く、つき合っていくかということを、
常に細心の注意を払って見極めておかないと、
すぐに袋小路にはまりこんでしまうんだよね。

 

呑みながら書いていたら、だんだんとりとめがなくなってきた。
まだ何も書いていないような気もするけれど、
最後に「屋久島タイムス」へのエールを送って、
終わりにします。

 

それは、かつてぼくが編集者を志した時に、
「名編集長」といわれた高田宏さんに戴いた言葉です。

東京世田谷の高田さんのご自宅にお邪魔し、
ぼくは問うたのです。
「編集者の心得」を教えてください、と。

即座に、高田宏さんは応えてくれました。

「編集者の心得は『百ヶ条』あります。
第一条から九十九条、
それは『人の意見に耳は傾けても、決して自分を曲げるな』、
ということです。
そして第百条、これが大事なことなのですが、
『常に同衆感覚を身に着けておくこと』。以上です」と。

 

「表現」しなければ、何も見えてきません。
自分も、他人も、そして世間も・・・・。
「あんちゃん」の熱き思いを、表現し続けてください。
及ばずながら、 こんなぼくに出来ることがあれば、
いつでも馳せ参じたいと思います。
それでは「屋久島タイムス」、
最低五十年は続くことを祈って! 


2005.10
上屋久町宮之浦 長井三郎

 

■プロフィール
長井 三郎(ながい さぶろう)
1951(昭和26)年 屋久島宮之浦に生まれる。
それから、なんだかんだ色々あって、
現在、民宿「晴耕雨読」主(あるじ)。

趣味=フォークソングバンド「ビッグストーン」所属
  「屋久島木端句会」同人
   ジョギンググループ「屋久島3ノットクラブ」会員
  「山ん学校21」小使い(=用務員)
  「屋久島島人会議21」組員
  「献血」マニア

 

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