屋久島タイムスの創刊に寄せて.11

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「屋久島タイムスに期待すること」

●東京都:葛飾柴又 柴崎 茂光さんからのメッセージ

安藤さん
屋久島タイムス創刊 本当におめでとうございます!

私は、4年前の10月に義父が貸してくれた、
屋久町松峯の一軒家に移り住みました。
たった半年間の滞在でしたが、
住まずには決して体験できない、
屋久島の暮らしと出会うことができました。
素朴だけど本物で、
ノンビリしているけど着実で、
厳しいけれど豊かな暮らしがそこにありました。
例えば、屋久島で暮らしているときに、
義父の手ほどきによって、
庭で取れた雉(きじ)をさばきました。
最初は、哀れでとても食べられないと思っていたのですが、
羽をむしっているうちに、
だんだん雉が美味しそうな雉肉に見え、
最後には、美味しく雉を頂きました。
また、ヤクシカを食す機会もありましたが、
臭みが無くて、いくら食べても翌朝、胃がもたれません。
移住した当初、
ヤクシカを見ると「かわいい」と思っていたのですが、
雉をさばきヤクシカを食らうようになると、
「美味しそう」と思うようになりました。

冬になると、道端にツワブキが綺麗な黄色い花を咲かせます。
島では、ツワの茎の部分を取ってきて、
皮をむいてから水にさらして、煮物にして食べるんです。
自分も、今は亡き義母と一緒に、
毎晩夜遅くまでツワを剥きました。
あっ、その頃に、隼人ウリも家の庭になっていて、
初めて食べたっけなぁ。
それから、おすそわけ文化もまだまだ残っていて、
近所のおじさんらや義母が、
トビウオやら野菜やらいろいろ持ってきてくれて、
幸せを分けてもらっていたなあ。
・・・自分、食べ物のことばかり書いていますね。ハハハ。

もちろん、屋久島の暮らしは楽しいことばかりではありません。
一番強烈だったのは、湿気でした。
研究で買っていたコピー用紙が
湿気でぐにゃぐにゃになってしまったのには驚きました。
それから農業の厳しさも、実感しました。
ポンカンという果物は
本来12月末から1月にかけて完熟するのですが、
お歳暮に間に合わせるために、
成熟を早めるためにエチレンガスの部屋に通します。
ただ、そのために、
ポンカン入りのキャリーをエチレンが充満した部屋に
何十往復もして運ばなければなりません。
これが辛いのなんの。
私はすぐ腰痛になりダウンしました。

・・・前置きが長くなってすみません。
屋久島の暮らしを何となく理解していただけたでしょうか?
島で暮らしをしていると、 巷で言われているような、
「世界遺産、縄文杉、自然の島」というイメージは、
全く実感できません。
島民の方々と島外在住者の間に、
感覚の大きな差があることを痛感します。
そしてどちらが本物か?といえば、
私は島民の方々の感覚こそが
本来あるべき屋久島のイメージだと思います。
なぜなら、島外の人が抱く屋久島の印象は、
マスメディアや観光業界、そして政府によって、
作られた&植えつけられたものだと私は思うからです。

早いもので、安藤さんに屋久島で初めて会ってから
もう4年が経とうとしています。
安藤さんは常日頃から、
屋久島の生活を屋久島から外に発したい
とおっしゃられていました。
それは安藤さんご自身、私が感じた違和感を、
より痛感されたからに違いありません。
そして遂に、屋久島タイムス創刊を実現されました。
屋久島関連のウェブサイトが、
屋久島の自然・世界遺産・観光を強調するものに偏りがちな中で
安藤さんが発信する情報は、
ある意味異色として読者の皆さんの目に映るかもしれません。
しかし、安藤さんが発信しようとする情報は、
(島民から見たら)むしろ当たり前の屋久島の姿なのです。
ぜひとも、焦らず、
屋久島タイムスを読み続けて欲しいと思います。
時間はかかると思いますが、必ず皆さんの中に、
島人にとっての生活に根ざした屋久島の姿が
おぼろげながら見えてくると思います。

・・・などと、長々と説明してきましたが、
実は、屋久島を離れて早3年が経ち、
島の感覚が薄れてきちゃいました。
そういう時に、
安藤さんが屋久島タイムスを創刊してくださったことは、
まさに感謝の一言に尽きます。
安藤さんの記事を読みながら、
島の感覚を少しずつ味わい・共感したいなあと思っています。
毎月の情報発信を楽しみにしています!

 

サキシマフヨウが咲き誇る屋久島を想いながら
柴崎茂光

 

■プロフィール
柴崎 茂光(しばさき しげみつ)
1972(S47)年 埼玉県和光市生まれ
現在、東京大学農学部林政学研究室助手。

学生時分の1997年に、調査で初めて屋久島に入るも、
島の奥深さに畏れを抱き、挫折。
研究では辛酸を味わったが、
一方で「安房川の河童」の異名を持つ
屋久島安房出身の女性と知り合い、2000年に結婚。
結婚を期に、屋久島で調査を再開する覚悟を決める。
2001年10月からは、屋久島松峯に住んで調査を開始し、
この時、屋久島塾長の兵頭さんを通じて、安藤さんと知りあう。
2002年4月から現職につき、文字通り亀の歩みではあるが、
屋久島研究を継続中。
また愛娘が可愛いと公言して憚らない、
葛飾柴又在住の親バカでもある。
ちなみに、もうすぐ2児のトトになる予定。

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