兵頭昌明の四方談義 Vol.11

 

んのがことは、んのに決めさせてくれ!

日本で作られた鉄砲を、最初に実戦で使ったのは、根占藩より種子島奪還を図った種子島藩で、暴発により味方の方に被害が大きかったといわれています。

屋久島の領有を巡り、根占藩と種子島藩が争っているとき、屋久島の島民はいったいどこでなにをしていたのか、その事の方が気になってしかたありません。
おそらく樹の陰か草むらに身を隠して、じっと戦の終わるのを息を殺して見守っていたのではないでしょうか。

私には、当時の状況が現在の屋久島に重なってみえるのです。

屋久島に住みながら、島への帰属意識の低い住民や、集落の構成員たることを拒否する住民が増えているといわれています。
一方、近頃の「エコなにやら会議」や「なにやら協議会」等々を遠くから窺っていると、かっこ良く空虚な言葉や文字が飛び交い、頭をもたげようものなら流れ弾に当たってしまいそうで、じっと首をすくめているのがやっとというのが現状です。
さらには島民の代表者たる為政者たちまでもが、その尻馬に乗って、ヨイショヨイショと煽り立てている図などというものは、情けなくて目を背けたくなります。

屋久島は「本邦初」の実験場でもなく、まして我々はモルモットなんかじゃないのです。
地域エゴと蔑まれ、モンロー主義と非難されようとも、私たち島民はそんな「標準語」だけの議論には入っていけません。
どこまでも、生まれ、育ち、暮らし、死んでいくその地からしか、屋久島を、日本を、そして世界を考えることができません。
コンサルタントの描く屋久島の未来図には、住民の姿が描かれているでしょうか?

樹の陰に身をひそめ、息を殺してじっと待つだけでなく、今こそ大声を張りあげて世の中に主張しましょう。

「わいだだまっちょえ! んのがことはんのが決むい!
(あなた方は黙ってろ! 我々のことは我々が決める!)」

(2006.4.6発行のレポートより加筆転載)

 

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