兵頭昌明の四方談義 Vol.12

 

口之永良部島と太陽丸

折田丸が屋久島の各集落をぐるっと回り、永田から口之永良部島を経由して一湊、そして鹿児島へと向かう航路を運行していたことを覚えているのは、私たちの世代までかもしれない。

その後、口之永良部航路が廃止され、替わって1972年、町営船「太陽丸」が屋久島、口之永良部、種子島間を運行しはじめて今日まで、種々の問題を抱えながらもなんとか生活航路を維持し続けています。

この間、特に屋久島側に太陽丸をお荷物扱いする向きがなかったわけではありません。
しかし、ちょっと視点を変えると、太陽丸はとてもすてきな財産にみえます。

 

島は本来海によって四方八方につながっていますし、つなぐためには船は必要不可欠なものです。
その船と航路を持っているということは、たいへんな財産なのです。
この財産運用の基本が、口之永良部住民の生活優先であることはいうまでもありません。

それにプラスする運用とは。

(その1)
屋久島の高齢者を対象に口之永良部温泉湯治のための優待乗船券の発行。
併せて、口之永良部の高齢者への無料乗船券の発行です。
受け入れ側の口之永良部に長期滞在できる、自炊施設を備えた湯治宿ができれば、それにこしたことはありませんが、それが間に合わないようであれば、空き家に手を入れても対応できると思います。
結果、人の交流が復活し、野菜や魚など物産の流通にもつながるのではないでしょうか?

(その2)
トカラ列島の十島、三島を航路に入れる。
これによって、ごみ処理や医療などの生活圏の考え方が大きく違ってみえてくるはずです。
とくに観光面では発想や展開が飛躍的に変化するはずです。

(その3)
十島には「十島丸」が、三島には「三島丸」があります。
それに加え、「太陽丸」と考えると、夢はさらに大きく広がります。
この3船が有機的に結びついた航路を構築できたと想像してみてください。

 

誰かが、語り合ってこそ、いつの日にか実現できると思います。
こんな閉塞感の漂う時代だからこそ、みんなで大いに夢物語をしましょう。

(2005.5.10発行の【レポート9】より加筆転載)

 

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