兵頭昌明の四方談義 Vol.15

 

急行屋久島号

宮之浦の上屋久町陸上競技場と野球場との間に、国鉄「急行屋久島号」を記念するモニュメントがあることを知っている人はどのくらいいるだろうか。

1972年から75年まで西鹿児島ー大阪間を走っていた列車で、鹿児島中央駅西口屋内広場に据えられた屋久杉「出逢い杉」は、これを記念して屋久島から鹿児島中央駅の前身である旧西鹿児島駅に贈られたものです。

このモニュメントを正面から見ると、奥にあるトイレへの案内看板が妙に目立ち、動輪やレールは付け足しの扱い。「観光の島、屋久島」の実現にむけて、列車の名称にしてもらうべく、国鉄に働きかけた先輩諸氏のことを思い、現在の屋久島観光をみるにつけ、心が寒々となるのは私だけでしょうか。

「井戸の水を飲むものは、井戸を掘った人のことを忘れてはならない」。中国の周恩来首相の言葉が鮮やかによみがえります。

「屋久島号」が廃止になったとき、先輩諸氏の苦労を忘れないためにと、動輪とレールだけを貰い受け、島民の最も目につきやすい場所にという目的で今の場所に設置されたと記憶しています。

あそこは運動目的の場所、トイレの案内板は必要不可欠、というのなら、もっとふさわしい場所に移転させてはいかがでしょう。ふさわしいように思われるのが、登上(のぼりあがり)住宅の裏手に残る森林軌道跡です。観光スポットのひとつになり得ないでしょうか。

「虎は死んで皮を残す、人は死んで名を残す」、なんて言葉は死語になってしまったのでしょうか。

(2005.7.1発行のレポート10より、加筆訂正)

 

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