兵頭昌明の四方談義 Vol.19

 

屋久島観光論 (その2)

前回書いたように、6000という仮の滞在可能人数について、さらに考えていきましょう。

「世界自然遺産」の看板や映画「もののけ姫」などに惹かれてやっていた観光客は、標高の高い奥岳や沢の上流に集中します。これまで、これらの場所は島人にとっての非日常の空間であり、年間の入り込み数は知れたものでした。一度も奥岳に足を踏み入れずに生涯を終える島人も、珍しくはなかったのです。

ところが、ほとんどの観光客が、この、非日常空間を目指してやってくるというのが現状です。観光客を引率する業者を含めると、さらに人数は膨らみます。当然、かつてなかったほどの負荷が加えられているのです。

島の滞在可能人数だけでなく、場所ごとの量的制限は目の前に迫った重要課題のように思えてなりません。それぞれの登山道や沢について一日の利用可能人数を割り出すときです。「入島税」や「入山料」といった「カネ」の議論と混同してはなりません。

東京都では、小笠原諸島の特定地域への立ち入りを規制し、立ち入りに当たっては都認定のガイド同伴を義務づける動きです。さらに林野庁でも小笠原諸島国有林の全地域の立ち入りについて、庁公認のガイド同伴を決めたようです。

屋久島の場合、国有林の地主である林野庁の判断にかかっています。林野行政の保続のために、高邁な思想を掲げ、国民の要請には頑として耳を貸そうとしなかった林野行政のプロの出番が、今まさにやってきたのです。手をこまねいていてよいものでしょうか?

「国立公園は国民のものであり、その利用は妨げられるものではない」とのたもうたガイドがいたそうですが、かつて「国有林は国民のものであり、国民である俺が俺のものをどうしようが勝手だ」といって木を切り倒した男の話を思い出しました。

奥岳に踏み入らずに満足する観光客はいるのか。これからが屋久島観光の正念場です。地の魚や採れたての野菜、果物も、水中眼鏡ひとつで出会える海中の緑に包まれた世界も、熱帯の植物が生い茂る里山の風景も、バケツをひっくり返したような豪雨も、刈っても刈っても生えてくる雑草の勢いに至るまで。「我々の日常が、観光客にとっては非日常である」そんな自負を保って、奥岳に頼らない観光を見出すときが、今まさに目の前に来ているのです。

(2006.7.3発行のレポート26より、加筆転載)

 

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