マニフェストは誰のもの?
今年は庭の花、野の花、木々の花に限らず、花という花が例年になく艶やかに咲き乱れています。
立場を少しずらして見ると、私たちのまわりにはなんと選挙の多いことか!
そして、その度に立候補者たちの色とりどりの「公約」や「マニフェスト」やらを聞かされます。
今まではこれを訴える側にいたのかと思うと、忸怩たるものがあります。
百花繚乱と咲き乱れる公約と、有権者の望みとがうまく合致すれば、それはそれで良いのですが、えてして両者は食い違っていることが多いのです。
公約をマニフェストと言い換えようがどうしようが、政治家が庶民感覚を失っている限り、私たちの望みに合致する政策に出会うことは困難です。
このミスマッチを修正するにはどうしたら良いのか?
答えは簡単なのです。
「立候補者にマニフェストを作らせるのではなく、私たち有権者の側がマニフェストを作れば良いのです。」
問題なのは、その方法です。
・・・と、ここまで書いたところで、先頃行なわれたフランスの大統領選で、同じことを考え、これを実行した人がいたと教えられました。
「有権者側の政策を公表して、立候補者に賛否を問う」というやり方です。
実行した人が、著名人だったことが功を奏した原因であったようですが、この方法がサルコジ氏の当選に少なからず影響し、その後の人事などにも早速結果を出しているようです。
予想される新町の町長候補者が、屋久町ではいつもの顔ぶれであり、上屋久では少なからずその信を失った感のある議会の議員経験者ということであれば、今回の選挙に対して私たち有権者のとるべき道は、いつものように立候補者から仕掛けられるのではなく、こちら側から積極的に仕掛ける必要があります。
(2007.6.22発行のレポート41より、加筆訂正)
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