兵頭昌明の四方談義 Vol.37

 

原点「屋久島方式」に返ってみませんか?

二回目の雪で山が薄化粧しました。
台風の影響を2年も受けなかったせいでしょうか、野山の木々の花、草の花が艶やかで、実りも豊か、とりわけ谷筋を降りてくる紅葉が見事です。

でも、これを楽しみ、喜んでばかりいて良いものか?
紅葉する木が目立つということは、実は、山の植生が貧相になりつつあることを意味していないか、と考えさせられます。

つい数年前まで、めったに見ることのなかった猿や鹿が、私たちの生活領域に日常茶飯に現れるようになってしまい、道路ではこの時期、これまでと違って、イタチよりも、猿、鹿、小鳥、移入種の狸の礫死体の方が目につくようになり、なにかが起こり始めているようで、不安になります。

島の外周県道を車で走っていて思うこと・・・

その一、屋久島には橋が100以上あると言われます。
それらの橋のなかで、廃道の橋は別として、主な橋の前後には、駐車スペースを設けて、さらに歩道を両側につけて、橋の上からゆっくり眺めを楽しめるようにして欲しい。
屋久島の川の両岸は、身近にあって、奥岳にも匹敵する貴重な自然の中核をなしています。
これを四季折々、のんびり眺める時間と場所が欲しいものです。

その二、以前にも書いたことですが、集落内の街路樹として植える樹種について、基幹作物、特産品としてポンカンやタンカン、お茶が奨励されて久しいのですから、せめて街路樹に全国一律の金太郎飴のような樹種ではなく、低木として茶の木、高木としてポンカン、タンカンを植えるぐらいのことをして欲しいと言うのが、私の永年の提案です。
花の香りは心を和ませ、熟した実は、旅人や鳥たちに喜ばれると思います。

かつて、県道にリンゴ椿の植樹を提案したことがあります。
当時の山口町長は、町費を使って宮之浦、志戸子間にリンゴ椿の苗を植えました。
それが大きく育って、毎年花を咲かせ、たわわに実を付けて、今、私たちの目を楽しませてくれます。
一湊のシャリンバイ、桜の植樹は、林区長の業績ですし、一朝一夕には結果が期待できなくても、数年後、数十年後、後世に評価される為政を大事にしたいものです。

このところ、山岳部の屎尿処理問題に絡めて、自然利用型の屋久島観光のあり方に「そろそろ量よりも質の観光へ軌道修正すべきでは?」と、問題提起をしてきたつもりですが、世はあげてトイレの話ばかり。
現実的な対処療法にしか議論が向かないようです。
それどころか「頑迷で程度の低い土着民」の戯言と、片づけられるに至っては、何をか況やです。

かつて「森を残せ!」と主張し、人生を賭けて闘った先人の目的は「子孫のために」でした。
その遺志を未来へ伝え続ける責務を、今を生きる私たちは負っているのです。
「如何にあるべきか。何をなすべきか」を、直截に主張し続けなければなりません。

国はバイオトイレを含む、山岳部のトイレの増設を表明し、維持管理は県と地元でと提案し、県と町はその費用捻出のために入山料導入を検討するそうです。

そうではなく、奥岳部分への入山者の総数規制の方が焦眉の急でしょう。

サンオーシャンリゾート計画の延長線上に浮かんだ「環境文化村構想」ではありましたが、その実行方向として「屋久島方式」のエコツーリズムやグリーンツーリズムの試行が示されました。
しかし、今やこれらの言葉だけが踊り、マスツーリズムの大波のなかに埋没してしまいました。
行き詰まり、迷ったら、何度でも原点に返ってみましょう。

(2008.12.18発行のレポート52より)

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