陰から目を反らさず、島の未来を考えましょう
先日来島したカウンセラー大須賀発蔵先生の講話に、次のようなものがありました。
「『白色白光、雑色雑光』が通常の仏教教典の言葉ですが、原典ではさらに『白色白光白陰、雑色雑光雑陰』とある。
その『陰』という字を加えてみると、より深く見えてくることがあるのです」と。
これを聞いた知人が「まさに観光だ」と喝破しました。
「観光」という言葉を日本に初めて紹介したのは、屋久島出身の儒学者泊如竹翁といわれます。
山の糞尿問題は、携帯トイレの試験導入実施で当面の方向が示されたようです。
数や時期を含めた登山道の利用制限は、まだこれから。
一大観光地となった屋久島で、光を見せると同時に、そこに産まれる陰を私たちは常に忘れてはなりません。
かつての森林伐採という目に見える行為は、国が相手であり、判り易いものでした。しかし、現在のじわじわと進められる環境破壊は、観光産業ばかりではなく、あまりに不特定多数で原因が掴みづらいのが現状です。
屋久島の自然は前人未踏の手つかずのものである、神の棲まう神聖な場所である、などという気は毛頭ありません。
しかし、古来から人が関わってきた場所だけに、いつでもどこでも、どのようにも利用してよいとは思えません。
国立公園は、世界遺産は、皆が等しく利用すべきものなのでしょうか?
そろそろ目先のそろばん勘定は横に置いて、「次代の利益を損なわないあり方」について、ひとつひとつ考えてみませんか?
たとえしんどくても陰から目を反らさず、この島の未来のために、子や孫の顔を思い浮かべましょう。
(2009.5.23発行のレポート56より)
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