木原滋文の島人コラム Vol.6

 

成果主義のツケ

高校の必修課目未履修問題や神村学園野球部監督の部員への暴力など、一連の教育関係の報道に数年前まで教育現場にいた者として、来るべきものが来たかという思いがしてならない。

未履修問題は受験競争の激しさとかかわりがあることは言うまでもない。
学習指導要領にも問題があるという意見もあるが、そのことはここではおくとして、自分が目標とする大学に志願者が多ければ、競争が生まれるのは当然であり、今始まったことではない。
受験生は大変ではあるが、いわば大学を目指す者の青春時代の常であり、人生の通過点とも言えよう。
問題は学校や保護者、つまり未履修当事者以外のところにある。
特に鹿児島は著しいといわれるが、国公立大、有名私大崇拝主義である。
○○高校は、国公立大に何人合格させたかで高校のランク付けが行なわれ、週刊誌でも取り上げられる。
だから校長や進路指導担当は、必死になる。
時にはなりふりかまわぬ者まで出てくる。
そして彼等の言葉は決まっている。
「生徒のためだ」と。
今回もその辺にあるのではないか。

かつて勤務した高校でも似たようなことがあった。
本人はB日程の大学の理学部を希望していたのだが、進路担当や担任は、先ずA日程の大学の農学部を受けるよう指導した。
どちらも合格し、本人は自分の希望の大学を希望した。
また私立大を希望していた生徒には関東の国立大を受験させ合格したが、結局私立大に進学した。
いずれも受験料、旅費等は本人負担である。
どのような指導をしたのか知らないが、生徒、保護者にはいい迷惑だっただろう。
学校は国公立大合格プラス2が統計表に残った。

センター試験の会場で、引率者同士が「何人受験したか」とさも自慢そうに話し合っている光景を目にした時、何ということかとばかばかしくなった。
実は私の勤務校では、すでに私大に合格し、センター試験の必要のない生徒も相当数含まれていたからである。
他県の話であるが、センター試験を卒業考査にする高校もあるやに聞く。

商売は商品が売れてナンボなのかもしれないが、教育に成果主義は似合わない。
要は、生徒自身の努力と、生徒に努力の大切さを指導することである。
高校は進学や進学の予備校的一面も持つが、それが全てではない。
ましてや国公立大や有名私大、有名企業合格者の数を競う場ではないことを関係者は肝に銘じるべきである。
成果を上げた人たちの多くが、その後いわゆる出世していった現実を見るにつけ、つくづくそう思う。

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